Go To English Site
Site Map / サイト・マップ
個人情報のお取扱いについて / Privacy Policy
LOGIN / LOGOUT  
TOP HOUSE TECHNO HipHop/R&B CLASSICS JAZZYBEATS OTHER

Items / Artists / Labels

  "For The Lost Techno
Greats"
(Written By 真利夫)
 

vol. 1 -
Stefan Robbers

vol. 2 -
Neuropolitique

vol. 3 -
Black Dog Production
New!
プログレッシブ・ハウス考
"Reviews" Written By
Hayakawa
(Urbanized Records)
  Idjut Boys
Masters At Work
"Our Time Is Coming"
 
 
 
For the Lost Techno Greats(vol.2) 
Neuropolitique 

written by 真利夫

Neuropolitique"Menage a Trois"(Irdial-Discs 52ird mat4)
 

第2回の今回は、ニューロ・ポリティーク。下手をすれば、ステファン・ロバースよりも知名度の面で下回りそうですが、実はこのニューロ・ポリティークこそが、かつてのデトロイト・テクノにおいて、カール・クレイグと比して評するべき存在ではないか、などと筆者は考えています。


 もともニューロ・ポリティークことマット・コガーは、イギリスに生まれており、デトロイトとは縁もゆかりもない人間。「イギリス随一の変態テクノ・レーベル」などと有り体の言葉で表現したくないほどオリジナリティの固まりであった、アーティアル・ディスクス・レーベルを根城に、活動していました。

 
 V.A."Sonar 123"(Peace Frog PF014)
 

ともあれ、まず最初に語るべきはイギリスはピース・フロッグ・レーベルからの1993年の盤「sonar123」にほかなりません。マーティン・ボンズ、ホワン・アトキンス、アンソニー・シェイカーといった名だたるデトロイトの猛者を相手にして、食い下がるところか、この1曲のために、日本のデトロイト・マニアのなかで、血眼の1枚と化してしまうほどの出来映えだったのであります。


 デトロイト・テクノを構成する要素のひとつに「16ビート」のリズムを挙げることができると思いますが、確かにマット・コガーは、デトロイト・テックな16ビートを十全に吸収して…、できあがるのはB12のような正当派デトロイト・フォロワーによるテクノ音楽だったでしょうか? それが、まったく違っているのです! 16ビートのすべてのタイミングにハイ・ハットやバス・ドラムが納められた音楽など、想像してみてください。そんなものがダンス・ミュージックたり得るわけがないように思えてしまうのですが、それで成立してしまったのが、ニューロ・ポリティークでした。


 上記のような過剰16ビート・バスドラムの合間を縫って、アウト・オブ・キーなストリングスが立ち現れては消え、立ち現れてはまた消えする…。デトロイト・テクノが興ったとき、その音群の大きな特徴に音の隙間、「スカスカ感」があったのですが、ニューロ・ポリティークは本来はファンクネスを生み出すはずの隙間16ビートを、過剰16ビートによって、まったく分離の悪いファンクからはほど遠い音楽にしてしまった、といえましょう。


 先程「ストリングス」と申しましたが、果たしてそれを「ストリングス」と表現していいものやら…とはばかれるほどの、アブストラクト=分離の悪さっぷりです。そう、いまでは「アブストラクト」などというと、踊れないクラブ音楽などと同意でとらわれがち。ただし、ニューロ・ポリティークの場合は、デトロイト・テクノらしいビートを追求していった結果、初の「アブストラクト・デトロイト・テクノ・ミュージック」を形成したのです。なんだか、いまの耳で聞いたら、おもしろそうだと思いませんか…。


 ところで、マット・コガーは、デリック・メイ「icon」を収録したころで伝説のコンピレーション・アルバムと化した「バーチャル・セックス」のレーベル、ベルギーのバス・レーベルからもリリース経験があります。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドと並んで2大名バナナジャケと評されている、「BANANAGATE」では、特に彼の「ストリングス」における異端児ぶりを堪能できます。なにせ「大岡越前」のテーマ曲に激似ですので。

 
V.A."objets d'art"(Beechwood elec 9lp)

 

 また、彼の偉大さを示す良い例が、ワープ・レーベルと並んでインテリジェント・テクノ旋風を巻き起こすのに一役買ったニュー・エレクトロニカ・シリーズのコンピレーション・アルバム「objets d'art」です。このアルバムは、名前のとおり、アズ・ワンことカーク・ディジョルジオが運営していたデトロイト・フォロワー・レーベル、アート・レーベルの編集版という形を取っています。ほとんどの収録曲をカーク先生とカール・クレイグが占める(残りはかつてのブラック・ドッグ・プロダクション)このアルバムで、ニューロ・ポリティークもこっそり参加していました。他の面子がこれまでにないくらいの一般的な評価を受けているのですから、彼の才能(特異さ、といった方がよい?)を、もう1度世に問いたくなる欲求に駆られるのは、筆者だけでしょうか。


 1994年に本拠地アーディアル・ディスクス・レーベルからついに自らのフル・アルバムを発表します。このアルバムでは、少々まっとうな音作り、デトロイトへの先祖返りを見せていますが、下手をすればゲーム音楽ともとらわれかねない音の洪水は、曲作りにおいて、どうしても隙間を埋めずにいられない日本人(そういう人、たくさんいると思いませんか…)の心に、ぐっと来るものがあります。ある意味、マット・コガー流のブルースとでも呼びたくなる、壊れた切なさにあふれておりますので、ぜひ一聴を。

 
Neuropolitique"Beyond The Pinch"
(Beechwood ELEC33LP)

 

 さて、この後ニュー・エレクトニカ・シリーズでさらにアブストラクト・デトロイト・テクノを追求していくマット・コガーですが、行方不明になる直前に、非常に微妙な珍名盤を同レーベルに残すことになります。1997年にリリースされた「Beyond the pinch」は、それまでの方向性とは一転、楽曲の骨格をほとんどサンプラーで作り上げるスタイルに移行。折しもケミカル・ブラザーズのメジャー・デビュー(1994年)の後、ということで、さすがにマット・コガーも「世間的に流行っている音」を意識し始めたのか、とパッと聞きには思う人もいるでしょう。しかし、ケミカル・ブラザーズと決定的に異なるところがありました。それは「グルーヴ」です。


 あいまいな言葉かもしれませんが、ケミカル・ブラザーズは、サンプリング・ダンス音楽とはなんたるかを、きっとレイヴ体験から鋭く感じ取っていたのでしょう。つまり、サンプリング音の継ぎ目を如何にスムースに埋めていくか、という作業に関しては、彼らに勝るアーティストはいないのでは? そして、それこそが、「テクノ」というシーンから現れてきたにも関わらず、ケミカル・ブラザーズがロック・ファンに受けた最大の理由だと思うのですが。なぜなら、「テクノ」は往々にして、ソースとの異化作用を求めてサンプリングを行うわけですから…。


 話を元に戻すと、果たしてマット・コガーのサンプリング音楽は異化作用の固まりとでも評すべきものでした。かつてカール・クレイグが(「69」名義あたりまで)技術不足のためか、フロアを意識しなかったためか、または若気の至りで成し遂げたサンプリング・エレクトロニクス・ミュージックは、なによりもデトロイト・テクノ史において語られるべきものだと思っていますが、この時点でまったくパッとしていなかったカール・クレイグのパワーは、すべてマット・コガーに移行したか?と思わせてしまう何かが、ここにはあります。



 かつてポーランドの亡命作家ゴンブロヴィウッチが、自作の小説『コスモス』のなかで「これは世界を秩序のもとに再構成する試みなんだ」といったようなことを述べていますが、筆者はまさにこのアルバムのためにある言葉ではないか、と一聴したときに感じたのを覚えています。『コスモス』の話の筋は、主人公にとってまったく意味不明である事物・事件に、主人公が意味や筋や物語を見いだそうとしつつ、まったく見いだしていない…という推理小説仕立ての実存主義的な話。結局我々は、どうあがいたところで、世界の意味はわからないし、でもわかろうとするのをやめられない、ということを一冊の本にまとめているわけですが、そのような「秩序立て」は、究極的には狂気にほかなりません。これは永遠に終わりがない作業なのですから。


 マット・コガーの場合、すでにローランドのドラム・マシンやチープなアナログ・シンセが与えられただけで、あれほど秩序立てに失敗し、失敗したおかげで、彼の楽曲はオリジナルたりえていたわけです。その程度の楽器で混乱していたにもかかわらず、サンプリングという現実音を相手にしたときに、いったいどんなことが起こってくるのか…というのが、『Beyond the pinch』だったわけです。マット・コガーにとってみたら、アナログ・シンセやリズム・マシンよりも、現実音のほうがよっぽど「わけわからん」ものだったようですね…。


 作品を発表するたびに、どんどん洗練からは遠く離れていく、という希有なキャラクターは、ほとんど唯一無二といえます。というわけで、筆者の知る最新作である『Beyond the pinch』は最高傑作であり、筆者の知らない最新作は、それよりも傑作ということになります。マット・コガーはいま何をやっているのでしょうか? 遂にあっちの世界で戯れておいでなのでしょうか? ニューウェイヴ流行りの昨今、いまもっともジャストな存在は、ニューロ・ポリティークだと思うのですが…。
 消息についてご存じの方はご一報ください。


 
 最後になりますが、現在発売中の『ミュージックマガジン』でニューウェイヴについての考察を行っております。ご興味のある方はご一読を。

 

 
 
MAIL
HOW TO ORDER 訪問販売法に基づく表示 Powered By
3 Hands