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さて、この後ニュー・エレクトニカ・シリーズでさらにアブストラクト・デトロイト・テクノを追求していくマット・コガーですが、行方不明になる直前に、非常に微妙な珍名盤を同レーベルに残すことになります。1997年にリリースされた「Beyond
the pinch」は、それまでの方向性とは一転、楽曲の骨格をほとんどサンプラーで作り上げるスタイルに移行。折しもケミカル・ブラザーズのメジャー・デビュー(1994年)の後、ということで、さすがにマット・コガーも「世間的に流行っている音」を意識し始めたのか、とパッと聞きには思う人もいるでしょう。しかし、ケミカル・ブラザーズと決定的に異なるところがありました。それは「グルーヴ」です。
あいまいな言葉かもしれませんが、ケミカル・ブラザーズは、サンプリング・ダンス音楽とはなんたるかを、きっとレイヴ体験から鋭く感じ取っていたのでしょう。つまり、サンプリング音の継ぎ目を如何にスムースに埋めていくか、という作業に関しては、彼らに勝るアーティストはいないのでは? そして、それこそが、「テクノ」というシーンから現れてきたにも関わらず、ケミカル・ブラザーズがロック・ファンに受けた最大の理由だと思うのですが。なぜなら、「テクノ」は往々にして、ソースとの異化作用を求めてサンプリングを行うわけですから…。
話を元に戻すと、果たしてマット・コガーのサンプリング音楽は異化作用の固まりとでも評すべきものでした。かつてカール・クレイグが(「69」名義あたりまで)技術不足のためか、フロアを意識しなかったためか、または若気の至りで成し遂げたサンプリング・エレクトロニクス・ミュージックは、なによりもデトロイト・テクノ史において語られるべきものだと思っていますが、この時点でまったくパッとしていなかったカール・クレイグのパワーは、すべてマット・コガーに移行したか?と思わせてしまう何かが、ここにはあります。
かつてポーランドの亡命作家ゴンブロヴィウッチが、自作の小説『コスモス』のなかで「これは世界を秩序のもとに再構成する試みなんだ」といったようなことを述べていますが、筆者はまさにこのアルバムのためにある言葉ではないか、と一聴したときに感じたのを覚えています。『コスモス』の話の筋は、主人公にとってまったく意味不明である事物・事件に、主人公が意味や筋や物語を見いだそうとしつつ、まったく見いだしていない…という推理小説仕立ての実存主義的な話。結局我々は、どうあがいたところで、世界の意味はわからないし、でもわかろうとするのをやめられない、ということを一冊の本にまとめているわけですが、そのような「秩序立て」は、究極的には狂気にほかなりません。これは永遠に終わりがない作業なのですから。
マット・コガーの場合、すでにローランドのドラム・マシンやチープなアナログ・シンセが与えられただけで、あれほど秩序立てに失敗し、失敗したおかげで、彼の楽曲はオリジナルたりえていたわけです。その程度の楽器で混乱していたにもかかわらず、サンプリングという現実音を相手にしたときに、いったいどんなことが起こってくるのか…というのが、『Beyond
the pinch』だったわけです。マット・コガーにとってみたら、アナログ・シンセやリズム・マシンよりも、現実音のほうがよっぽど「わけわからん」ものだったようですね…。
作品を発表するたびに、どんどん洗練からは遠く離れていく、という希有なキャラクターは、ほとんど唯一無二といえます。というわけで、筆者の知る最新作である『Beyond
the pinch』は最高傑作であり、筆者の知らない最新作は、それよりも傑作ということになります。マット・コガーはいま何をやっているのでしょうか? 遂にあっちの世界で戯れておいでなのでしょうか? ニューウェイヴ流行りの昨今、いまもっともジャストな存在は、ニューロ・ポリティークだと思うのですが…。
消息についてご存じの方はご一報ください。
最後になりますが、現在発売中の『ミュージックマガジン』でニューウェイヴについての考察を行っております。ご興味のある方はご一読を。
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